短編小説 『 ユンケル』

 

  そのアイドルの卵は、水着姿で深夜のテレビ画面に突然現れた。

  幼さの残る顔と細身の体に、不釣合いなほどの巨乳を携えたアイドルの卵は、バラエティー番組で自身の写真集を告知するために、今からお笑い芸人とツイスターゲームで対決するらしい。

 
  明日も午前中からファミレスでのバイトがある英彦は、虚ろな目で睡魔と闘いながらも、ベッドの中から、そのテレビ画面をぼんやりと眺めていた。ただし番組を盛り上げようとするお笑い芸人のギャグは英彦の耳に全く届く事はなく、彼の意識はひたすら、小さなサイズの水着に無理やり押し込められた、アイドルの巨乳だけにロックオンされていた。

 

 いま見つめている幸せの詰まった巨乳が、このあと彼を悲劇へと誘うとは、この時まだ知る由もなく、お笑い芸人が吹き鳴らしたホイッスルの音色と共に、ツイスターゲームは始まった。

 

  『左足を赤』『右手を黄色』『左手を青』…テンポよくツイスターゲームが進むにつれて、アイドルの胸元が強調される姿勢へとドンドン変化していく。もちろんカメラマンもその瞬間を見逃さず、いつしかテレビ画面には水着の胸元のアップだけが映し出されている番組となっていた。

 

  英彦はといえば、テレビから漂うオッパイの甘い香りに誘われて、いつの間にかベッドを抜け出し、テレビ画面の真正面へと移動してポールポジションを確保していた。  

 

 


  長らく彼女がいなくて、毎晩淋しい思いをしている英彦は、一人暮らしの22才。夢も目的もなく、なんとなく大人になった彼は、東京へ行けばイイ女と一発やれるのではという、根拠ゼロの期待を胸に、故郷の鹿児島から3年前に上京して練馬へと住み着いた。

 

 


 上京した頃の英彦には、東京という街は目がくらむほど眩しく見えた。でもそれが幻だと半年もすればすぐに気づいた。夢も目的もない人間に、東京はなんの刺激も与えてくれないし、イイ女と一発やらせてくれる事もない。だから鹿児島にいた頃と何も変わらない、飯を食ってオナラするだけの生活をしていた。それでもずっと練馬にとどまっているのは、”東京”という住所に住んでいる自己満足のためだった。 

 

 


 それほど”東京”というネームバリューには、人の心を狂わせる魔力がある。テクノロジーで埋め尽くされた21世紀の世界に、魔力なんて聞くと笑い話のようだが、東京の魔力は確実に存在する。そしてこの魔力に鋭気を吸いとられた人は、死ぬまで東京から抜け出せない。

 


 英彦も3年の東京生活ですっかり鋭気を吸い取られ、喜怒哀楽をなくしたゾンビと化していた。でも今夜だけはテレビから突然届いたオッパイのプレゼントに、心がときめいているようである。こうして秒殺で、今度はオッパイの魔法にかかった英彦は、まだ名前も性格もよく知らないそのアイドルの卵に、早くも淡い恋心を抱いてしまった。夢も目的もない心は、魔法や魔力の攻撃を受けやすいアビリティーを持っているのでご注意を!


  ちなみにもし、この水着のアイドルが、前田敦子や百田夏菜子ような、メジャー級のトップアイドルだったとしたら、彼の心に恋心が芽生える事は決してなかっただろう。

 

その日暮らしのフリーターである英彦からすれば、トップアイドルの存在は、銀河の最果てにある星を眺めるくらい、遥かかなたの存在で、恋の妄想をする気持ちにすらなれないのだ。でもアイドルの卵なら、誠実にファンレターを書き続ければ、徐々に距離が縮まり、いつしか誠実さに振り向いてくれるのではという僅かな期待が持てるのである。

 

  勿論そんなセコい作戦に、振り向いてくれるアイドルがいない事くらい、普段の英彦なら冷静に判断できるだろう。ただオッパイが目の前にチラつくだけで、こうもマヌケになってしまうのが男の悲しい宿命である。

 

  ツイスターゲームは番組のヤラセではと疑うくらいに、アイドルの卵だけが一方的に苦しい姿勢へとドンドン追い込まれて行った。そして女豹のように極端な前傾姿勢へとなったその時、オッパイと水着の間に微かな隙間が、チラチラと見え隠れしはじめた。もちろん英彦の鋭い眼光は、その隙間を見逃さなかった!そしてひょっとしたら、その隙間から乳輪の端っこが少しくらい見えるのではとハプニングを期待して、じっと息を殺して見守った。

 

今のご時勢、乳輪や乳首くらいなら、アダルトDVDで幾らでも見れるのだけれども、こういった想定外のハプニングの方が、エロさは遥かに上質で、何倍も価値があるのだ。

 

  明日も朝からバイトがある英彦なのだが、この価値の高いエロスと引き換えに、睡眠時間を犠牲にすると決意。深夜にも関わらず、上質なエロスをおかずに、上質なオナニーを楽しむ事を決意した!

 

  アイドルの卵が何度もバランスを崩しそうになりながら、写真集の告知の為と必死で体勢を立て直す度に、水着とオッパイの隙間がテレビ画面に何度もアップとなる。その都度、英彦はオチンチンを強く握り締めながら、『いま一瞬だけ水着の隙間に見えた影は、乳輪だったのでは?』とシャーロック・ホームズばりのキラリと光る推理力を働かせて、五感をフル回転させながらオナニーに励んだ。

 

  しかしいくら待っても乳輪は姿を現さない。それに痺れを切らした英彦は、作戦を変更してサイコキネシスで乳輪を強引に引きずり出す事にした。そして時空が歪むほどのパワーで集中力を高め、更に強くオチンチンを握り締めた後、テレビ画面に向かって、『エロイムエッサイム…出でよ乳輪!』と強く念じた。しかし乳輪は1ミリも現れない…。英彦は超能力など使えないので当然の結果である。ただ彼は今、オッパイの魔法にかかり、エロスの楽園を駆け回っている最中なので、皆さんが住むこの現世と概念が違う事だけは、どうか分かってあげて欲しい。英彦としても乳輪が見えない事には、性欲がフル充電された金玉へ、スペルマ発射のGOサインを出せないのである。無意味だと分かっていながらも、オッパイの魔法に対抗して、超能力で闘いを挑ん だ彼のチャレンジを、決して笑わないであげて下さい。性欲に支配された男の脳味噌は、枯葉ひとつの重さも無いくらいスッカラカンなのである。

 

  そんなスピリチュアルな対決を脳内で必死に繰り返している内に、時間は刻々と過ぎて行き、無常にもオナニーの途中でツイスターゲームは終了してしまった。アイドルの卵はツイスターゲームで勝利したらしく、直立不動となり満面の笑顔で写真集の告知をはじめた。本当はやりたくもない女豹のポーズなどそそくさとやめてしまい、アイドルの卵の胸元から、水着とオッパイの隙間は完全に消えた。そして乳輪ポロリの可能性は永遠の闇に葬られ、英彦の上質なオナニーは行き場の無いカタストロフを迎えた。

 

 やがて写真集の告知を終えたアイドルの卵は、テレビ画面からもすたこらと消えて行った。その瞬間オッパイの魔法から目覚めた英彦は、あたり一面桃色だった甘いエロスの楽園から、突然むさくるしい男一人暮らしの酸っぱい部屋へと連れ戻された。

 

 

  オナニー失敗に落胆した英彦が『ふぃ~』っと大きな溜息をつきながら、目覚まし時計を眺めると、時刻は午前2時過ぎ。明日のバイトに遅刻しないためには、午前7時に起きる必要があるので、残された睡眠時間は、残り5時間を切っていた。

 

  しかし桜の花が咲き乱れるエロスの世界から、たった今、帰ってきたばかりの英彦の脳は、眠気の欠片すらなく、バッキン、バッキンに意識が覚醒している状態だった。

 

 早く寝ないと明日のバイトに遅刻してまう。しかし射精しない事には眠れないというジレンマに陥った英彦は、悩んだ挙句、オナニー続行を選択した!

 

睡眠時間は更に短くなってしまうが、このまま悶々として眠れぬ夜を過ごすよりも、射精後の疲労感と気だるさに身を任せ、そのまま眠ってしまおうという作戦にシフトチェンジしたのだ。

 

 そうと決まれば早速お気に入りのアダルトDVDを再生して、オナニーを再開した。テレビ画面はあっと言う間にAV女優の裸体で埋め尽くされ、英彦は念願の乳輪にやっとありつけた。しかし彼のオチンチンは、揺すっても、叩いても、反応は鈍く、年老いた犬のようにグッタリと横たわり、首を上げようとはしなかった。

 

  そしてこの時はじめて英彦は、自分が見たかったモノが乳輪ではない事に気がついた。今の彼にとってDVDを再生すれば100%見れる、AV女優の乳輪には何の価値もないのである。それよりもテレビの放送コードに縛られ、決して見えてはいけないアイドルの乳輪が、偶然見えそうになったシチュエーションに、心が躍っていたのだ。見える乳輪よりも、見えない乳輪に興奮してしまう、これがエロスの不思議なところである。

 

  とは言っても射精を終えない事には眠れない英彦は、半勃ちのオチンチンを無理矢理しごいて、何とか精子を発射させた。しかしその力なき射精には、イナズマに撃たれたような衝撃はなく、疲労度も放尿する程度のライトな感覚で、気だるさに任せて眠るミッションは失敗に終わった。

 

 

  時計の針を見ると時間は午前3時を過ぎていた。『今すぐ寝れば起床の7時まで、あと4時間は眠れる!』英彦はそう思い、急いでパンツを履き、まだ眠気のないまま、とりあえずベッドへ潜り込んだ。そして枕元のリモコンでアダルトDVDを停止させると、画面はテレビに切り替わり、そこに突然、クエンティン・タランティーノのレザ・ボア・ドッグスという映画が映し出された。

 

  深夜にしては儲けもの映画だったので、とりあえず眠くなるまでぼんやりと眺める事にした。しかしタランティーノの作る世界観は、ご存じのとおり秀逸で、5分と経たないうちに引きずり込まれ、あっと言う間にエンドロールまで見届けてしまった。更には買うつもりのない明け方の通販番組までハシゴをして、朝を迎える頃には、NHKで体操をする女子体育大生をエロい目で虚ろに眺めていた。

 

  そして英彦は、結局一睡もする事なく、バイトへ出発する時間を迎えてしまった。今なら1秒もあれば直ぐに眠れる程の強力な睡魔に襲われながら、鉛のように重い身体を引きずり英彦は自宅を出発した。

 しかし本当の悲劇はこれからである!毎秒ごとに襲ってくる睡魔に耐えながら、夕方5時まで続く労働は、まさに生き地獄。

 

  朝の清々しい通勤風景の中で、一人だけグレイの淀んだ空気を漂わせながら、英彦はバイトを当日欠勤しても誰もが納得するであろう言い訳を考えながら、とりあえず職場へ向かった。しかしそんな都合の良い言い訳は、古今東西、世界中の人間が、いくら知恵を絞っても未だに発見されていない。もちろん英彦ごときに思い浮かぶ筈もなく、気づけば職場のファミレスへと到着してしまった。

 

  出勤前から既にやる気ゼロの英彦は、大きなアクビを何度も繰り返しながら、従業員専用の入口を通り更衣室へと向かった。そしてファミレスの制服に着替える最中も、彼のアクビが止むことはなく、その負のオーラを敏感に察知したファミレスの店長は、英彦に向かって『昨日は眠れなかったのか?』と声をかけた。

 

  すると英彦は、すかさず深刻そうな表情を作り『色々あって最近眠れないんですよ…。』と、まるで心に悩みでも抱えて、不眠症を患ってるかの様な小芝居をして見せた。

 

  しかし相手は過去に何百人ものアルバイトと接して来た百戦錬磨のファミレス店長。東京で夢や目的を持って35年も闘っている、”戦士の”アビリティーを持つ男である。口では心配しているような言葉をかけたものの、内心では『どうせオナニーのやり過ぎで寝れなかっただけだろう…。』と、英彦の生活をズバリ見抜いていた。その上で英彦の士気を落とさぬようにと『いろいろ大変だろうけど頑張ってね!』と更に優しい言葉をかける賢者の対応を見せた。

 

  しかし英彦はこのあと店長の期待をあっさりと裏切り、眠気に耐え切れずオーダーミスを連発して、全く使い物にならなかった。

  そして遂には、立ったま眠る失態まで繰りひろげ、HPは限りなくゼロの状態に近づき、眠気が完全にピークに達した頃、ようやく最初の休憩時間がやって来た。

 

 

  英彦としてもこのままではマズイと責任を感じて、休憩時間に薬局へと走ってHPを回復しようと考えた。そして眠気をふっ跳ばす為に、ユンケルシリーズの中でも一番の上物で、最高にハイになれる、ユンケル・ファンティーという、末端価格一本3000円程するポーションを一気に飲み干した。

 

  だがこの判断が、英彦を更なる地獄へと引きずり込む事へとなる。

  眠気を取りたいのならエスタミンモカや、眠眠打破のような、カフェイン飲料を選ぶべきだったのに、滋養強壮効果の強いユンケルを飲んでしまったのだ。これは栄養ドリンクの知識が乏しい人が、犯しやすい初歩的なミスである。しかしユンケルの上物は、すでに英彦の体内へと取り込まれ効果を発揮しはじめている。



  その結果、眠気は全く解消されず、体は鉛のように重いのに、オチンチンだけがフル勃起しているという、最上級にバイトがやり辛い状況へと、さらに自分を追い込んでしまったのだった…。


皆さんもオナニーして徹夜明けの際は、摂取する栄養ドリンクの種類を、決して間違わないよう、十分にお気を付けください。

 

                         おしまい